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7月の日記

7月29日(火)

ふと、もしシェアウェア売るとしら、
支払い方法はクレカやらWebmoneyやら色々ありますが、
その中でどれが一番効率いい(かつ、こちらの手間もあまり掛けずに配布・集金できる)のかなと
思って、色々情報収集をしてみました。

あらかじめ言っておくと、
今の所、シェアウェアの販売とかは考えてません。御安心下さい。
が、一応「売り方」は知っておくに越したことはないと思いまして。
今の不景気な社会だと、真面目に勉強してても下手すると無職になっちゃいそうなので、
食い扶持稼ぐ手段としての考慮の一つに入れるだけです。


で、本題の支払い方法について。
クレジットカード支払いは、ベクターなどでも割と主流です。
ベクターだと、販売側はソフト一本につき、「お値段の何%か+固定金」を
値段に上乗せしなければいけない事以外は、これといって特に困る事などはないので、
少数の販売を考えている方は手を出しやすいかもしれません。
が、問題は、ゲーム買う「お客様」の層を考えた場合、
クレジットカード持ってる人ってどのぐらいいるの?という事。
決して多いとは言えないと思います。


そこで出てくるのが、最近色んな所で見られる、Webmoneyを筆頭とした電子マネーです。
コンビニ行けば、お小遣いでも全然問題なく買えるグーな代物。
買い方は、ファミリーマートなどに置いてある端末をいじってWebmoney購入画面を出し、
購入したいWebmoneyの金額の欄をポチッと選択すると、
紙がベロベロベロと出てくるのでそれ持ってレジ行くだけ。
レジ持ってったら、お金払った後にレジの人がFAXみたいなのを使って
Webmoneyのコードが書いてある紙を出してくれます。割と簡単。
支払いの際にそのコードを入力すると、そのコードの残額から
お金が引かれるっつー仕組みになってます。
まあ「電子マネーの入ったロッカー」の「カギを買う」、みたいなイメージでよろしいかと。

……が!
実はですね、Webmoneyによる販売・支払いシステムをホームページに付ける為には、
Webmoney加盟店になる必要があるそうで。
しかもそのWebmoney加盟店になるには加盟金20万円が必要とか何とか……ってそれマジすか!?
Webmoneyは支払い方法としては非常に便利そうだけど、
店を開く為の初期投資としては結構キッツいコストです。
仮にシェアウェア600円で売ったとしても、店舗の手数料で1割消えるとしたら
最低でも200000/540=370本売らなきゃ元が取れないワケで。
今のシェアウェア事情考えると、作品の質にもよるでしょうが、
たとえ600円でも、370本以上売るのはかなりキツい予感がします。

ちなみに、Webmoney決済ができる方式としては、Webmoneyホームページからリンクされている
「Hello, Good Buy!」とかあるようなんですが、こっちは実体のないものの取り扱いじゃなくて
リアルな物体(服とか食料品とか)のやり取りのようです、トホホ。
あとはWebmoney送信サービス……なんですが、
これWebmoneyのコードだけ送られてくるんでしょうか?スッゲ面倒な予感。
しかも現金化ができなさそうです、Webmoneyだけで生活するワケにもいきませんしなぁ。
ちなみに、先ほどの「20万」のサービスには「Webmoneyの現金化」が含まれていますので、ご心配なく。



そもそも、Webmoneyを購入した事のある人、及び、
購入の仕方を知ってる人が果たして何%いるのか?とか、
色々あやふやな情報が多すぎるのも困りものなんですなぁ。

結論としては、販売側から見れば、ローリスクローリターンがクレカ支払い、
ハイリスクハイリターンが電子マネー(っつかWebmoney)支払いって事でしょうか。
Webmoneyはアンケートでも採ってからじゃないと心配で使えませんのぅ……。


あと、シェアウェアっつっても、相変わらず出来る限りの事しかやらない(やれない)ので、
シル見とかより、そのシェアウェアの方がクソ面白いって事は、たぶん無いと思います。
シェア作品は一枚絵が多いとか、そういう意味でのオマケは多めに付けるかもしれませんが……。

シル見は世界観が固まっちゃってきたので、出来ないネタが密かに制限されちゃってますが、
世界観が変わればネタなんてまだまだ出せる自信があります。
現代ネタとかはシル見ではできませんから、意外とストックバリバリ。
現代のニュースやCMの一般性をネタにしたりとか、色々出来ますからね。
逆に言えば、シル見ならではのネタってのもあるわけですし、現代ネタでは出来ないネタだってあります。
そういう意味では、幅広く作品を作るのが、面白さの密度を減らさない秘訣なんでしょうかねぇ、うーむ……。


まあ、何だかまとまりませんが、シェアウェアと支払い方式は
切り離せないものなので、御興味があれば一度色々チェックするのもいいと思います。
つっても、そんな人はあんまりいないか……。





余談ですが、この日記、自分向けの内容か他人向けの内容かで
語調が不気味なほど変わってます。
単に、自分に対しては、優しい物言いでは気合いが入らないってだけなんです、ご了承下さい。

7月6日(日)長い夢

いきなりだが、
元々、これは自分のメンタルコントロール用の目的が半分入った日記だ。
人の目に触れる場所で果たして自分は一体何を言うのか、
それを見る事で、自分の精神状態を多少なりとも計る事ができる。
あまりにも精神的にヤバければ、見てる側から漏れなく修正の抗議が来る、
精神的な成長には、割といいと思う。


で、それはそうと、異様に長い夢を見た。
脈絡も順番もメチャクチャだったが、今まで自分が体験したシーンだけが、
ほとんどそのまま出てきた夢だった。
おかげで、一生分の色んなイベントを思い出した。
数ヶ月に一回は、こんな夢を見る。
どうせだから、今の自分から見た、今までの人生の感想でも残しておこうと思う。
これまでもしょっちゅう書いてる気がするが、
書く度に見方や言い方・表現が変わっているので、
これらは、「今の」自分から述べた内容・表現・感想だ。


生まれて数年しか経ってない頃の事は、元より全然覚えていない。
最初に覚えてるシーンは、「幼稚園に行く準備」をしていたシーンだ。
肝心の幼稚園での経験も、ほとんど何も覚えていない。
ただ、泣き虫だったのは確かだった。
臆病だったし、何より小2の頃まで抜けなかった
「右手親指をしゃぶるクセ」が、よくバカにされた事ぐらいだろうか。
なぜか、このクセばっかりは長く続いた。
何が原因だったのかは分からないけれど、育児について学べば、
どんな性格(もしくはどんな精神的未発達?)を象徴した行動だったのかが、分かると思う。
おかげで、今は右手の親指が左手よりだいぶ長い。


小学生になってからは、工作の時間で他の子供達より長く残っていた経験を多く覚えている。
あと、あまりの臆病さに、ドッチボールに自発的に参加しようという気が全然無かった。
その点、隠れんぼやら鬼ごっこは好きで、よく皆でワイワイ遊んでいた。
とにかく、痛いのが嫌いだった。恥ずかしいのも嫌いだった。
どちらも臆病さから派生したものだと思う。
あと、図工の時間だけ、しょっちゅう居残りで作品を作っていた。
満足がいくまでは、止めなかった。
逆に、妥協するという事を知らなかったから、
時間に追われた創作課題などは、本当に困ったし、悩んだ。
キリのいい所で止めるのも一手だと学んだのは、この頃だろうか。

小学生の後半は、塾やら何やらで、
小学生なのに午前2時まで塾の勉強・課題とか、割と当たり前だった。
両親にそれらしい事言っても、ストレスなんて無いでしょ、だの、
んな事言ってないで勉強しなさい、だので、精神的な逃げ場が無かった。
今になって、躁鬱病に近い状態になってた事に気付かされる。
意味もなく明るくなって叫び出したり、壁に頭をガンガンぶつけたり、
いきなり泣き出したり、しまいには「死にたい」というか、
正確には「生きたくない、今自分が何やってるのか分からない」と、本気で思った。
一度だけカッター持って風呂場に行ったが、やめた。
さらには病気がちになってたし、小学校にもほとんど行かなくなっていた。
この時期が、生きてる内で最もヤバかった。
当時は心というものを意識してなかったから、
この経験が、自分にとってどう影響を与えたのかは、分からない。
ついでに言うと、そうなってた時、親がどう対処してたのかも覚えてない。
起こった事の全てが、どんよりとした感覚でしかなかった。


中学生になった頃の話だが、これまた覚えていない。
自分が通っていた中学校は、いわゆる「賢い組」と「普通組」に分かれていて、
(逆の見方をすれば普通組とバカ組とも取れるが…)
最初の頃、自分は普通組だったが、途中で賢い組に移動した。
賢い組の方は、みんな頭が良かった。
けど、休み時間の教室に活気があったかというと、あまり無かったかもしれない。
自分は勉強についていけず、結局、普通組へと戻った。
その頃は、成績を出せない事で、親に色々言われた。
「結局、自分は中途半端なんだ。賢い人達には、あがいても勝てないんだ」
と、身をもって知らされた。
当時は勉強でしか自分の価値を見いだせなかったから、
まるで自分に価値がないかのように思えて、愕然とした。

普通組の方は皆、やけに脳天気で明るくて、バカばっかりやってたけれど、
メチャクチャ楽しかった。
なぜか生徒は「先生に好かれよう」といった類の保身なんて全然考えてなくて
やけにオープンだったし、とある生徒が停学やらしまいにゃ退学喰らっても
平然とギャグにしてたり笑ったりするぐらいデカい人もいた。
でも、そんな生徒も、誰かを傷つけるような真似はしなかった。
退学になってしばらくしてから、その人が学校来たりした時なんて、
周りから「よー、元気してたか!?」とか歓迎されるような、そんな状況もあった。
何で同じ学校なのにこんなに違うんだろうと、よく思った。
平気で学校捨ててでも得られる何かがあったんだろうなぁ、と、
そこまで出来るような気持ちいいような連中が、なぜか多かった。先生も含めて。


で、高校生になって二年になったぐらいの時期。
その頃に、「思いやり」やら「心」というものを意識し始めた。
思いやりというといいように聞こえるかもしれないが、
ぶっちゃけ言うと、「人の心を見透かす力」だ。
その時まで、ほとんどそういう事を考えた事もなかったし、
そしてまた、理解しようとした事もなかった。
「心」という存在の概念は、あるのは知っていても、
それを肌で感じた事は、その時の記憶の中には、全くなかった。
それまでの荒れた心にとっては、自分から気付く余裕すらなかったというのも、あった。

それゆえに、時にお互いを理解できずにケンカもしたし、
人の心を考えていない事について、散々責められた。
だから、気付いた後は、
友との付き合いの中で、そういう事を積極的に学んだ。
時間が経つごとにケンカをしなくなってきたし、皆で笑い合う事も、多くなった。

学校では大人しくて、誰よりも良い子だったかもしれないが、
その実は、刺々しい心だったように思う。
先生にはウケが良かったが、同年代の人間から見れば、冷たい人間だったろう。
親から見たら、どう思ってたのだろう。
それまでの自分は、親の顔にはあまり関心がなかった。
「怒ってるかどうか」だけが問題で、それ以外はどうでも良かったのが実状だ。
幼稚園からずっとそうだ。

もし、自分の子孫の誰かが、その時の自分と同じ状況になってたとしたら、
どうやってそれに気付けばいいのだろうか。
また、どうすれば自分の見出した答えを教えられるのか、
または気付かせられるのだろうか。
とても難しい問題だ。
結局は、自分で気付くしか解決できる方法がないのに、
刺々しい心には、「押し付けの講釈」をしても、何も届かない。
実際、何も届いてなかったから。
もっと心の底を揺さぶり、直感で感じさせ、
そして自分から、よりその事に興味を持ってくれるような、
そんな教え方が好ましい。
でもそんな方法、とてもすぐには思いつかないから、今から考えるしかない。
子供ができたら、何を教えてやればいいか、
どうやって教えてやればいいか、
どうやれば大切な事に興味を惹かせられるか。
そして、どうやって聞いてもらうか。
納得の行く答えは、今になっても思い付いてはいない。




それから、少し時が経った頃に、初めてまともにゲームを作った。
それまでは、完成はせずとも、ツクールで製作の真似事はやっていた、
ドット絵を描いたり、イベントをちょこちょこ作ってみたり、キャラクターにセリフを喋らせたり。
で、この頃に作ったのは、シミュレーションRPGツクールで作ったADVゲームだ。
友達を喜ばせたいというのと、自分への挑戦の為だった。
本気で頑張った。ゲームそのものの内容は短かったけれど、
製作した日は、自分では考えられないほど「自発的に」「一生懸命」やってたのを、覚えてる。
思えば、人生で誰かを喜ばせたいと思って「自分から本気で頑張って」何かをしたのは、
この時が最初だったかもしれない。
今から見れば、当時自分が「人の心」という概念を考え始めた事で、
人としてだいぶ変わったんだな、と思う。

友にそのゲームディスクを渡して、次の日、
負けず嫌いな友人が「なんだよアレ!ゲーム面白かったよ!」と笑いながら言った時、
人生の中で初めて、本気で、涙が出るほど「嬉しい」と思って、
また、「自分の存在してる価値」ってのを、心の底から感じた。
その時のは、「誉められた」から嬉しかったというよりは、
「一生懸命自分が頑張った」のが「報われた」から嬉しかった。
それまで、何かをしても「報われた」と感じる事がほとんど無かったし、
一生懸命頑張っても、空虚なものしか残らなかったから、余計にそう感じたのかもしれない。
それまでに感じた「嬉しい」の経験が全部ゼロに見えてしまうほどに、嬉しかった。


そんな「自分から一生懸命頑張れば、ちゃんと報われるんだ」の感覚が心に芽生えてからは、
自分から、色々やるようになっていた。
高校1年までの、まるで無気力な自分が嘘のようだった。
自信も沸いた。でも自信のある状態での適切な行動について全く無経験だったおかげで、
馬鹿な発言や行動も一杯やった。でも、間違えはただ直せば良かった。
間違えなきゃ、「より良い答え」を強く意識できないから、
「正面からぶつかって思いっきり間違ったけど、知識だけで間違いを知るよりずっと良かった」
と感じる事の方が、多かった。




高校2年の終わり頃から、こそこそ絵も描き始めた。
ゲーム作るなら、せめて顔グラフィックぐらいは自作したいなあ、と思ってだ。
それまでは、「やってもどうせ無理だ」と思って、絵なんて何もやってなかったのに、
なぜか「妹に出来て自分ができないハズがない」と、その時はそう信じられた。
何回か挫折したけれど、続けてる内に上手くなっていて、それが嬉しかった。
ゲームのネタも、受験勉強の合間に、たくさん書き留めた。
大学の受験勉強も、無理のない程度に頑張った。
塾へ行かずとも、自主的に勉強できた。
無理矢理な屁理屈に近いほどの考えで、自分を勇気付けて。
受験に落ちても、ゲームのネタを溜めたり、
絵の練習する期間が増えるだけだと思ってたらしく、
あまり、気負いはしてなかった。
「落ちても来年受ければいいや」と、強がりでも何でもなく、
心の底から言えたような気がする。
価値観が一つじゃない事が、どんなに強いか、
それを、身をもって理解した時期かもしれない。
もちろん、受験に対して緊張やらドキドキもしたけれど、
自分の存在価値は、受験に失敗しても落ちるワケじゃない、と思えば、
だいぶ気が楽だった。


高校の課程を終えて、
ついでにこの頃から、自分にとっての親離れの兆候か、
「一人で何でも頑張ったる!」という気風が見え始めた。
一人暮らしもしなきゃならないし、それぐらいの勢いを
付けないとどうしようもなかったのかもしれない。
一人暮らしに慣れた頃には、元通りになったが、
それまでネットで色々と叩かれたのは、言うまでもない。
シル見の公開でいきなり辛い意見を受けてショックを感じた、ってのも、割と大きいだろう。
世間の壁はなんて高いんだろう、というのを、思い知らされた。
だから、世間の壁に立ち向かえるよう、
もっと強くなりたいと思ったように記憶している。


これ以降は、印象に残った経験が減ったのか、
それとも途中で目が覚めたからか
夢に出たシーンの断片は、ここまでだった。
文章にするとなんだか支離滅裂だが、長くてキレイにまとめられそうにない。


それぞれのシーンは、当時のままの精神で見ていたのか、
それらのシーンが出てくる度に胸がズキズキした。
夢の中なのに悔しいとか嬉しいとか悲しいとか、色々思い出していた。
不思議なモンだ。


で、
一生の間で肝心な部分なんて、まとめると意外と少ないのかもしれない。
長く記憶に残るほどの衝撃的な事も、あまり無いかもしれない。
そしてまた、成長の機会に出会えるのも、完全に運なのかもしれない。
でも、どれも大事だ。
今の自分は、それら全てに出会って、形作られてきたのだから。




んで、人生の過程を振り返ってみたついでに、人生の先も考える。
将来に向けて自分は何をやれるか、どんな準備が出来るか、
そしてどんな成長ができるか。
万が一戦争に駆り出されるような事になってもいいぐらいの、
いざという準備的な「覚悟」は、それなりに出来ていると思う。
必要ならば、たぶん人を殺す「勇気」だって、持てるだろう。
でも、今の社会が、その程度の生半可な覚悟では
生きていく事すら辛そうな世の中だってのも、分かってる。
辛い命令を言い渡されるより、人を斬るより大変な事なんて、
世の中にはたくさん溢れてる。


だから、もっと強くなりたい。
何が起きても対処できうる、意志や心、
考える力、集中力や知恵が欲しい。
未来の為に何もせずにいて、
いざその時、という時に、焦ったり困ったり泣き言を言ったりはしたくはない。

だから、今頑張る。
というか、いつも自分の結論は今の所これしかない。

きっと、一生言い続けるんだろう、「今頑張るんだ」と。
具体的にどう頑張るかというと、
真剣に未来や今のことを考え、
真剣に義務や目標をこなし、
真剣に自分を保つ事。
ただ、それだけだ。




最近日記書く度に、もう少し綺麗にまとまらないものか、と思う。
ってことは、自分も少しは形にこだわり始めたのだろうか。
レポートなんかの冷血文章ならまとめやすいんだけど、
主観を述べた文章はまとめるのが辛い。もっと慣れないと。