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5月の日記

■ 5月31日(木) まだまだ ■

自分の書いた事を、自分で読み直したときに何も考えずに意味を理解できるかどうか、
まだ、それはできない。
だから自分の力は、まだまだなのだろう。

自分が無意識に書いて、なおかつ相手に理解させるほどの力があるなら、
それは深い意味を持たないか、それとも天才か。

もし俺の日記に解説を付けるとしたら、本当に付けられるのは俺だけだ。
自分自身は別に、他人に理解される必要はないから構わないが、
もし自分の死んだ後に誰かに勝手な解釈を付けられたら、あまり気持ちの良いものではないだろう。

イエス・キリストは、神の国の存在と、無償の愛を語ったが、
彼が一体何を考えていたのかは、誰にもわからない。
彼は一切、直筆を残さなかったから。

もしかしたら、
自分が他人にちゃんと伝えられているのかどうかが、不安だったのかもしれない。
もし正しく教えられていたのなら、そのまま正しい教えが受け継がれるだろうが、
「自分にしか理解できない事」を説いていたなら、それはきちんと伝えられていない事になり、
結局は、それで弟子らの誰にも理解できねば、一般にも理解できる人間はいないと、判断したのかもしれない。
「そんな事は、説くだけ意味がない」のだと、思ったのかもしれない。
それとも、文字が読めない人が普通にいた時代で、「万人の愛」を説くのに文字を使う事が許せなかったか。
はたまた、ただ単に自分は小さな一個人でしか無いから、きっとすぐ消えてしまう教えだろう、と思っていたのか。
有名になれる可能性は否定せずとも、そこまで傲慢な真似は出来なかったのかもしれない。

ウチの大学の講師ではないが、ある講師(教授)が言っていた。
「神の国」とは、「理解できない万物のもの」という理解のしかたがあると。
今の人達は、「科学で証明されていないもの」を「存在しえぬもの」と考える傾向がある。
一般的な例でいうと、霊や、超能力や、UFO。
レベルの高い次元で言うと、自分には見えぬ存在、分子、原子、量子理論の発想に繋がる。
人間の知覚では絶対に理解できない存在を見出した者達は、「神の国」を信じていた、と言える。
実際、最先端の科学者は宗教を理解するし、信じる者も多い。
もっとも、必ずしも一つの宗教に偏る、というわけではないが。
ちなみに、ニュートンは晩年、キリスト教の研究に必死になっていたそうだ。

自分にとってわからない存在を、「無いもの」として考えるのは、傲慢な考えだ。
ただ「神」という呼び名だけで胡散臭いと言える人間は、すでに理解する事を放棄している。
かつて彼らが「神」と呼んだものは、人間型の、全知全能の存在などでは無い。
真に理解できない大衆が、ただ勝手にそう決めつけただけの話だ。

俺は「わからないもの」を「神」とは呼ばない。
彼らとの考え方の違いは、ただそれだけの違いだ。
自分は「わからないもの」の存在を信じている。
それを信じ、必死になって理解しようとした者達だけが理解できた事が、今までにたくさんあるのだ。
アインシュタインは、今わからないものも絶対にわかると信じて、
ただひたすら、知ろうとし続けた。
その結果生み出されたのは、かつて誰も考えたことのないような世界観の、イカれたとしか思えない事。
彼の世界は時間も、空間すらも繋がりを持ち、動く。
時間はいつも同じスピードで動いているわけではない、というのだ。
並の宗教家とは比べものにならないような世界観を持っている。

そんな人達には、かなわないけれど、
自分は自分の見方で、人生を生きる。

当たり前のような事実の裏に眠っている真実を理解しようとしないのは、好きじゃない。
人は何らかの答えを求めて生き続け、そして、答えも見つからないまま死ぬかもしれない。
妥協した答えで自分を納得させて死ぬくらいなら、俺は「答えが見つからなかった」という事を認めて死ぬ。
それでこそ、笑って死ねる。
それが嘘のひとかけらもない、真実だから。

■ 5月31日(木) ■

仮に自分の行く先を見失ったとしても、
何かを一度始めたなら、それを止める事は難しい。

だから、一番できる可能性が高いと思える選択をせよ。
それを止める為には、自分にとって、自分の心にとって、恐ろしいほどの負担がかかるから。

自分の夢を、見極めよ。
本当に自分はそれがやりたいのか、考えよ。
対象の外見に惑わされては、いけない。
自分の心の奥底から沸いてくる「性格」という名の、「自分」を知れ。

■ 5月30日(水) それは違うか ■

みんなが辛い思いをしているからこそ、
俺はみんなの励みになる事を、やらないといけないんだ。

周りの心が汚れているのなら、
俺がどこまでも綺麗になって、その白さを伝えればそれでいい。
この世界が均衡を求めようとするのなら、綺麗な心もきっと伝播する。

今から何をすればいいのかわからない、無気力人間にはなりたくない。
そしてまた、それを心の鎖にもしたくもない。

無気力になっちまったら、その時だけれど、やる所までやりたい。
いつしか、俺と同じ人間も現れるだろう、それが無気力になった俺に似てるのか、
強く生きようとする俺に似ているのかはわからないけれど、
それでもいつか必ず、自分と同じ志の人間が、どこかに現れる。

その人は、俺と同じ役割を演じる。
俺がいなかったとしても、同じような役目を果たす。
でも、そんな人達に「今の自分が今できない事」をそのまま譲るくらいなら、
彼らにもっと上を目指して欲しいと自分は思う。
俺達の残したものを、礎にして、だ。

将来同じ道を歩もうとする人間の為に、
自分のできる所まででも「歩きやすい道」を作っておけば、
その人は、その終わりからまた、新たに道を開拓する事ができる。
そうやって、世界は広がる。

動物は、自分の強い遺伝子を残し、変異を繰り返して強くなるためにあるかもしれないが、
我々には、「知能・知識・技術」という、全世界の全員で共有できる、遺伝子に似た性質の新たな力を得た。
本来「遺伝子」のみでしか得られなかった強さを、「知」で肩代わりする事ができるのだ。
しかもそれは短期間で変異し、成長し、強化される。
地球、もしくは生物を生み出した「何か」にとっては、これとない発明品だったのだろう。


自分は、その中の一人だ。
どうあがいても、自分は地球人であり、日本人なのだ。
色々見ている限り、自分と似た性質を持つ人間は、日本の中だけでも相当いるらしい。
でもだからといって、何もできないまま没するという結果が与えられたわけでもない。

心を伝えるのは、本当に難しい。
科学や理論と違い、その効果はほんの一時でしか無いかもしれない。
でも、人々の心を救うのは、人々の心を強くするのは、科学ではない。
そうさせる技術が「理論」の中にあるとしても、それ自体では何の効果も為さないのだ。

残念ながら、自分は恐ろしく数学に興味があるというわけでも、
物理学において天才であるというわけでもない。
これといって文才があるわけでもない、人の心を描くのを得意とするわけでもない。
人に何かさせる事も嫌いだ、人の上に立つのはもっと嫌いだ。
そしてまた、人との交流を多く望まない、特徴もほとんど無い、
特に公的な場で大きく賞賛された事もない、普通の人間だ。

この体は、もう滅びに向かっているのかもしれない。
だが、滅ばないものも、俺の中にある。

その心を信じて、
後を追ってくる、未来を担う人間達のために、
頑張るというのも、悪くはない。


……まあ、青臭いヤツが言っても、説得力もクソもねえんだけどな。
とにかく、今はただ、一番愚かだと思ってる、一番好きな夢を追って、努力するだけだ。
まだ若いけど、死ぬまで夢に向かって走り続けるだけの理由と目標はある。

だから、笑って強く生きろ、俺。
どうせなるなら、ただの馬鹿より、誰も思いつかない事を平気でできるような大馬鹿になれ。
そして、もう一度自分の意志を強く持て。

■ 5月29日(火) ■

みんなが辛い思いをしているのに、
自分は何をやっているのだろうか。
などと、突然思って、
人の事を真剣に考えてたら、本当に何もできなくなるなと、思った。


どんなときでも、自分は「自分の行動」は将来、他人にどういう結果を
与えるだろうかと仮にでも判断してから、動く。
だから、自分が必死になって努力して、
「予想通りの結果」は今のままじゃ絶対に生み出せないと知ったとき、
自分の力不足を痛感する。

別に、自信がなくなったわけじゃない。
自分の判断を信じているから、力不足を感じる事ができるのだ。
自信が無ければ、どっちつかずになってしまって、ただ迷うだけ。

力がないと感じたとき、逃げたくなる。
しばらくでも、止めたいと思う。
だが、自分がそう思ってる事に気づいてるから、余計にやりたくなる。
自分の弱い心の言いなりには、ならない。

死ぬまであとどのくらい時間があるかわからないから、
あまりくじけてばかりも、いられない。

「休む」時間はとっても、「暇」な時間など自分には無い。
「行き先を失った」人間達は、「金」や、「性の快楽」に走るのだろう。
「本当にやりたい事」がここにある限り、俺は「つまらない人間」になど、なるつもりは無い。

自分が最も嫌いとするのが「つまらない人間」だ。
仮に「そうならない」ためだけに努力していたのなら、
人は「無償の愛」だとか「欲のない人だ」とか、そう言うのだろう。
結局は、自分の心を満たす為にやっているに過ぎない。
過去の偉人達も、そうだ。満たされているなら、何もすまい。

「自分の心を満たせる事」の次元がどのレベルなのか、
単にそれだけの違いで、人間の見られ方は大きく変わるものだ。

真に「欲のない人間」とは、自分がやりたいと思ってる事を全くしない事。
やっても絶対に満足できない事ばかり繰り返す人間。
だが、そんな人間は存在しない。
「満足できない事」を繰り返す事自体が、すでに彼の「満足」への一歩だから。

どうせやるなら、自分が真に「満足した」と思える事をやりたい。

■ 5月26日(土) ■

気が付けば、たまに沸き上がった恐れや怒りの感情すら、
それは自分の強さになりうる要素なのだと、認めるようになっていた。
『これを乗り越える事で、俺は一つ強くなれる』
そう思った瞬間、恐れは恐れで無くなり、怒りは怒りで無くなる。

問題を解決するとは、問題の質を変える事だ。
汚れた部屋を片づけるというのは、つまり一カ所に汚れを集中させるだけの事。
汚れが、この世界から消滅したわけでは、無いのだ。
そしてまた、汚れるという事は、ある所から汚れが拡散しているだけの話。
でも、世の中は均衡を保とうとするから、綺麗な部分は必ず汚れる。

「汚れたものの中」にいて「汚れない」という事は、とても大変な事だ。
いつか呑み込まれて、周りと同じ色になってしまうかもしれないから。
真っ白な心は、いつしか周りのくすんだ灰色に、侵されてしまうかもしれないから。

自分を貫ける心は、大切な宝だ。
だが、どうすればそれを得られるのか、それはまだわからない。
いつかそれを探求し、人に伝えたい。

■ 5月26日(土) まあ、こんなモンだろう…… ■

自分の実力を出し切って、
頑張って頑張った結果が、自分の想像以上に悪くて、少しだけ落胆する。

目標が今の自分より上にある限り、いつまでも、努力できる。
「自分の中で当たり前だと思っていた自分の能力」に追いつくだけで、
まだまだ時間がかかるだろう。

いつだって、そうだった。
自分は慢心し、本来あり得ないほどの力があると勘違いし、
そのたびに落胆しては、また努力を繰り返す。
後になれば後になるほど、過去の自分より遙かに上になっている事に気づいて、
あの頃の自分の情けなさに気づく。

未来永劫いつまでも、この繰り返しかもしれない。
慢心し、落胆し、努力し、また慢心し……と、その繰り返し。

慢心しているときと、落胆しているときの、自分の行動に出てくる違いはあまりにも小さいけれど、
心の中は、大きく違う。
慢心しているときは、最後の一歩に踏み込む事を忘れる。
落胆しているときは、何をやっても駄目に見える。

努力しているときは、何も考えていない。
ただ無心に、ただひたすらに、頑張るだけ。
そしてそのときが、一番強い。
ありのままの自分が、自分の中では何よりも強い。

だから俺は、頑張っているのが好きだ。

今俺が作ってるものは、
今の自分の評価では、あまりにも面白くない代物になってしまいそうな気がする。
それが、二年前ならはしゃいで宣伝したくなるレベルのものだったとしても、だ。

今の自分が「不満」を感じている事に、自分は幸福を覚える。
なぜなら、「まだ上を目指したい」と、心から思っているからだ。

頑張らない人は、嫌いだ。
それは自分の価値基準の中で「嫌い」と正直に言える、唯一の存在だ。
だから自分は、一番頑張れる事をやりたいと思ってる。
自分が「嫌いな人」に、ならないように。

今は、自分から自分を見て、一番好きだけど見てて情けなくて、
そして賢くて愚かで、世界で一番応援したい人間だと、思ってる。
だから自分は、自分の期待に応えたい。

今は弱くてもいい。
今から強くなれば、それでいい。

■ 5月25日(金) ケース ■

最悪のケース シリーズ第一弾

 ・家の中にティッシュというティッシュが完全にない状況下でついウ○コをしてしまった時
 ・どうすればいいのか途方に暮れる
 ・とりあえず紙は無いかとポケットを探ってみるとよりによって千円札だけが見つかる
 ・一瞬その千円札を使ったヤな想像をする(笑)
 ・お、俺は一体どうすればいいんだー!!

結局どうしたかって?
このトイレがウォシュレットだったらなあという事を願った瞬間に気づきました、
『手動でウォシュレットやればいいんじゃん!!』
という事に。

……後はご想像にお任せします。
いや、でも水だけでもかなり綺麗になりましたよ。
紙で拭くよりずっと。手はかなり汚れた気がするけどな。
なんせ使用した物が俺の左手と水だけですから。
アハハ、手の届く場所に危機回避のものなんていくらでもあるじゃーん。

だが、これで外出したときティッシュも何も無くても大丈夫!!!
プライドもクソもねえ腐った発想力に歓喜した瞬間。

とりあえず、今日ちゃんと買ってきました、トイレットペーパー。
ついでにティッシュもな。

■ 5月24日(木) 隠者 ■

真剣に考えて、
自分が必死になって人々に影響を与えたとしても、
大きな観点で考えると、数千年、数万年後には、結局何の意味も為さない、
という事が、理解できるだろうか。

それに気づいた人は、隠者となるだろう。
どんな事をやっても結局無駄となるのなら、やらなくても変わらない、と。
彼らはそう言うと思う。

まず前提がすでに間違っている。
自分が必死になって人々に影響を与えた、って、どの程度だ?
数千年後にまで影響を与えるような事が、絶対にできないと断定できるのか?
それはただの慢心だ。
自分の(何千年、何万年と比べれば)少ない知識から考えた推測を勝手に信じている。
それだけの、話。

我々は、地球ではない。
そしてまた、所詮は暮らしている場所と、出会った「何か」によって心が作られる存在でしかない。
できあがった心の中に潜む感情は、もうほとんど変えられない。
結局、自分にとって真にできる事は、「自分の感情」が言う事と、同じでしかない。
地球を本気で守ろうと心から言えて、そして実行に移せるのなら、俺は彼らを祝福したい。

遙かな未来には、きっと影響を与えられなくても、
自分の生きて、自分の見ている中だけでも、
真に頑張りたいと、そう思う。
人間一人に、そこまでできるとは最初から思っていないけれど、
でも、そこまで目指す。

こんな世の中でも決して絶望しないような、綺麗な心を持ち続けていた、
それを支えられる強さと共に。
だから、今日も頑張る。
自分の心が、綺麗なままでいられるように。

決して今の心が綺麗とも思わないけれど、それでも、やるだけやる。
頑張る事の素晴らしさを、もう一度知りたいから。
今は、それだけでも十分だ。

■ 5月24日(木) 自分そのもの ■

『自分自身だけ』を必要としてくれている、誰かがいる。
そう思った事は、あるだろうか。

『組織』が必要とされている事はあっても、そこの従業員は、
「多くの人々は自分を必要としてくれている」とは、思わないかもしれない。
逆に言う、
「組織を必要としている人達は、あくまでその従業員一人を必要としてる」とは、あまり思わないだろう。

ネットの世界で創作に生きてると、自分の必要とされている度合いがどれくらいなのかが、わかる。
自分一人に対して、多くの人との接触があるからだ。
かつては、『自分』が必要とされていると思えた人間は、
プロとして活動している画家か、医者か、そうでなければ名の売れた小説家か、職人か。
そんなところだったろう。
今は、違う。アマチュアでも、実力があれば人に必要とされる。
そして、『組織』ではなく、全くの『自分』のみが必要な存在であるという事を、知る。

かつてないほどの、励みになるだろう。
自分そのものが必要とされているのなら、本気で答えればいい。
それは全て、自分に返ってくるのだから。
反応が『組織』に返ってきて、自分の意義が不明なままよりは、遙かに喜びを感じる事だろう。

だから、
それを一度知ってしまった者は、組織を離れるだろう。
組織に尽くすなら、それだけの度量のある人間が指導せねばならない。
それがなければ、ただ人が離れていくだけだ。

そんな意味でも、「組織」も「個人」も、実力が大切な世界になるだろう。
本当に優れた者しか、組織を作れない。
優れた者に「この人に尽くしたい」と思わせるなら、より優れた人でなければならないから。

本当に優れた者しか、目を向けられる事はない。
これからの世界、情報は伝達する。強き者は、勝手に名が知れるから。

再び「弱肉強食の時代」が来ると、俺は思ってる。
弱き者が淘汰されるという、人間の道徳内では悲しまれるべき事。
生き残りたいと思うなら、今から本気で頑張れ。
それができなければ、歯車になるだけだ。

■ 5月23日(水) 矛盾 ■

心の中でもやもやするものがある時は、心に矛盾を抱えている時。

自分には本当にこの仕事が向いているんだろうか、とか、
そう思った時、心の中では「もっと自分に向いてる事がある」のだと、実は気づいてる。
でも、その「もっと自分に向いてる事」に自分が気づいてないなら、自分の中である事情によって抑制されている事が多い。
心の底から「これはいけないものなんだ」と思い込んでいて、その選択が頭に浮かばないという、そんな状態。

やりたいのに、駄目な状態。
それが矛盾。子供は矛盾をたくさん抱えている。
たくさんやりたい事があるけど、それは親によって抑制される。
彼らにとって、家の中は調べたい物、触ってみたい物、使ってみたい物に溢れている。
結局、最後まで触ってはいけない場所というのができあがってしまう。
自分の心の中にもそれを甘受し、「思ってはいけない事」ができあがる。
それが『心の鎖』。
先入観、固定観念の塊。

結果を知るまで諦めるな。
そう言う親は、その子供にきちんとしたしつけをして、
触ってはいけないものの存在を教えている。
でなければ、子供が結果を見ないままに諦めるなんて、しないから。
諦めるなとは、無理矢理諦めさせていた親のセリフだ。
もっとも、そんな事すら言わない人間の方が、多いけど。

でも、社会に適応しようと思えば、探求心は捨てなければならない。
知らなくていいことが、あまりに溢れているから。

人はいつしか、自分の心についても「それは知らなくていい事なんだ」と勘違いして、
何故自分がそんな事をやってしまうのかも知らずに、矛盾を抱える。

わからない事があるなら、自分から徹底的に調べる努力をする、
ただそれだけを知らない人で、溢れている。

俺は、鎖には繋がれたくない。
心の自由が、俺にとって一番の宝物だ。
だから、たった一匹でも生きられる力を付ける。
まだ見知らぬ、同志を見つけるまで。

俺は、本気で考えて、「見込みがある」と思った事しかしない。
もし自分のやってる事が間違ってたら、その時だ。
笑って、やり直せ。

■ 5月20日(日) 凍る夢 ■

自分のやりたい事があるのに、なぜかそれがやれない人がいる。
俺もかつてはそうだった。

一回だけ苦労して日課にしたら、
疲れてても、家に帰ってきてすぐにやりたい事をやるという行動が、可能になる。
受験勉強してたから、知ってる。
最初の一週間は苦痛だが、その後は慣れる。

最初に踏み込める「勇気」が、必要だ。
それができないと、いつまで経っても自分のやりたい事ができないまま、
ダラダラと時間を過ごす事になる。

今も、そうだ。
「創る事」をやり始めるまでは長かったのに、やり始めたら短い。
慣れたら、疲れていようがそうでいまいが気づけばやっている。

「慣れるかどうか」という、たった一つの違い。
つまらない違いだが、大きな違いだ。


関係ない話だが、
己の慢心が消えたときほど、気分のいいときは無いと思った。
慢心は探求心を消す。
己が謙虚な存在であればあるほど、色々な物に気づける。
そして、自分から進んで頑張れる。

今日は、一日中無心だった。
時に絵を描けば、数時間が一瞬のうちに過ぎて、
ゲームを作ろうと思えば、昼飯食うのも忘れて夕方になった。

……自分でもやりすぎだと思えるほどの集中力が、たった一日で付いた。

「昨日」という一日が、十年以上も価値のある一日だったような気もする。
俺の「感情」が「もっと頑張らなきゃ」と、本気で理解した一日。

「自分は死ぬまでに、数百年分以上の価値を過ごして生きる」
それも一つの目標。

明日も、頑張ろう。
明日を価値ある一日にするために。

■ 5月20日(日) ……色んな事があるな ■

家から持ってきた、安物の目覚まし時計が壊れた。
針の音がうるさいかったが、俺は別に構わなかった。
それを分解してみたが、直せなくなっただけだった。

だから、さっきスーパーに行って買ってきた。
手のひらにおさまる、小さい時計。
もと3500円の品が、1270円だった。
確かにこんな時計には3500円の価値はないなと思って、苦笑して買ったが、
アラーム、ライト点灯機能付き、月間誤差±20秒、
電池消耗度は毎日アラームを二分鳴らして、一年。

買って始めて、いい物だと気づいたりもする。

人との出会いも、またそうなのだろうか。
出会って始めて、いい人だと気づくものなのだろうか。

俺は、自分を信じている人が好きだ。
自分の価値観を信じてて、面白い視点を持ってる人がいい。
それから、頑張れる人。
……でも、それは自分の理想の「自分」だ。
結局、世界で一番好きなのは、自分しか居ない。

そんな人は、自分を隠しているのかもしれない。
今の、俺のように。
俺はみんなから疎外されるようなヤツが大好きだ。
独特のセンスを持っていて、自分の事を信じてる事が多いから。
それゆえに疎外され、イジメの標的になる。

少し賢くなったら、人々の中に完璧に埋没する術を覚える。
そうなると、もう親友と言える人を見つけるのは困難だ。
お互い埋没してるから、出会っても気づかない。

大学生なら、なおさらだ。
社会に適応する事を覚え、自分を隠せるのが当たり前になる。
そうやって世の中を乗り切って来た連中ばかりいるのか、もしくは最初からいないのか。
どちらにせよ、同志を見つけるのは困難だろう。

この叩き売りされていた時計のように、
良い出会いなど、そうそうあるものではない、か……。
家族とは、良い出会いだったと思うが、未だそれ以上の出会いはない。

俺はそういう事に時間を割くのも、勿体ないと思ってる。
自分には、自分のやりたい事があるからだ。
かつての偉人も、意外とそんなものだ。
親友と呼べる人を紹介した偉人を、俺はあまり見たことがない。

無理に人と付き合う事が人生の全てでは、ない。
義務を果たしたのなら、自分のやりたいようにやればいい。

■ 5月20日(日) 色即是空 ■

見る物触る物、すべてに実体が無いように感じられ、
果たしてこの目に見えている物は本当に真実なのかと疑う。

ただ、
「目に見えている」だけで、「その物に触ったという感触がある」だけで、
そこに物があると思ってしまっている、人間達。

これが「空」の教えか。
自分の見ている物が本当に正しいのかと思った瞬間に、その教えを理解した。

何故そこに物体があると思うのか、
光が反射して、目に入ってきてそういう風に見せるから、
じゃあ、何故その物体は光を反射させるのか、
そこに「存在」しているから、
……では何故、その物体は存在しているのか。

「ただそこに存在しているのだから、別にいいじゃないか」

それは探求心を失った、慢心だ。

俺の見てるものは、本当に正しいのか?

常識とは真実ではない。

でも、そこに疑問が生まれたとしても、
俺は現実を見据えて、いつも通り生きる。
おかしな事ばかり言っていても、
人と付き合う時は、普通の一学生の様に振る舞っている。
……気が付けば、人の前ではただの普通の人間にしか、なれなくなっていたが。

でもこんな事がわかっても、
人に何かを伝える時は、わかりやすく、説明したい。
決して自分の価値観や視点だけが、当たり前ではないのだから。

全世界が自分と同じだと思って、自分にしかわからない言葉で何かを訴えるなら、
それはただの夢想家だ。
現実がよくわかっていない、人間。
俺はそんな人間には、なりたくない。

……もっとも、この日記は自分を見るためのものだから、
多々自分の言葉(自分にとって自然な言葉)を使うのだが……。

別に、自分自身を他人に理解してもらいたいとは思わないし、
それは自分の人生の目標ではないから、別に構わない。
ただ、「強く生きる」ことだけは、誤解させずに確実に伝えたい。

何もかも伝える事は、絶対に不可能だ。
欲張らず、たった一つの事だったとしても、真に伝えるのは、本当に大変な事だ。
だから、今ここから、頑張りたい。

■ 5月19日(土) ■

世の中には、救いようのない事実ってのも、ある。

自分の事を一つ知るたびに、一つ自信が沸き、
時には慢心から無理矢理解き放たれるような失望を感じ、
そうやって長い間、自分を見つめてきた。

失望したのは、自分の行動の理由が、負の感情であったこと。
「楽しいからやってる」のでは、ない。
「自分の汚い部分に気づかされなくてもいいように」やっているのだ。
人々の心を変える事で、自分の満足を得ようとしていたのはそんな理由だ。
「世の中が変わらないのならば、自分が変わればいい」
とは、昔俺が言った。
でもそれは、理性でしか理解していなかったらしい。

だがな、
それを感情で理解してしまったら、ただの隠者になってしまう。
頑張れる事が、俺にとっての一番の夢だ。
どうしようもない社会体制があって、心の中に不満を残すくらいなら、
自分の心を変えようと努力すればいいけれど、
どうしても見ていられない事があるのなら、本気で努力すればいい。
俺が見ていられないのは、目の輝きを失った人達だ。

でも、
自分の中の負の感情を認めたくない連中よりは、一歩先に進んだ。

ただ他人に認められたいと思ったり、親しい人の期待を裏切りたくなかったり、
それで動いているのなら、自分の行動の原因にすぐに気づけるだろうけど、
どうして他人に認められたいと思うのか、どうして親しい人の期待を満足させたいと思うのか、
その原因を、知る事も大切だ。

それが探求心。
本来求められていない結果まで、自発的に見ようとする心。
俺が受験を終えて、すっかり失いかけてしまった心。

自分の負の心を知れば、その後、慢心する事が少なくなるだろう。
知った直後は辛いが、それを感情で認められるようになったら、大丈夫だ。
それからきっと、探求心も強くなる。
自分はちっぽけな存在だから、どこまでもつっこんで見ないと駄目なんだと思って、
そうやって、真実の中のさらに真実を得ようとする「目」ができる。


今日は、自分の価値観を揺さぶられた一日だった。
でも、そうして人は強くなっていく。
自分がどこまで正しいのかを知って、
どんな間違いを、捨てる事ができずに生きる事になっているのかを理解して。

この負の感情が無ければ、俺は何もしないだろう。
なら、それでいい。

■ 5月19日(土) 自分についての発見 ■

『志が低くてダラダラ生きてるヤツ見てるとマジでムカつく』

というのが、俺の正直な『感情』なんだと、まさに今日、知った。

だから、人と付き合うのが好きじゃないようだ。
何やかんや理由付けて一人でいるわけを説いていたのは、
己の感情を覆い隠すためだったようだ。
無意識に隠してる、自分の汚い側面。
自分を見つめよ、と言った瞬間に気づいた己の汚点。

だからこそ、「そういう状況への不満」を打破するための俺の「目標」だったのだ。
『人々に強い心を伝えたい』って思ったのは、そういう感情が心の奥底にあったから。
何故その理由で「俺が動いた」のか、今更になって理解した。

そもそも、なぜ「その目標」で俺を突き動かせたのかを考えるべきだった。
どうして『人の心が強くなって欲しい』と思ったのか。
それは自分の心の奥底に眠る『感情』のせいだった。
上記の様な感情が存在してるから、本気でそう思えた。
わがまま好き勝手言い放題の存在、感情。
気づけば、大したこともない、あまりにも単純な原因だ。

だが、これでピースがほとんどはまった。
自分の夢への強烈な原動力は、上記の汚い言葉だった。
自分が一人でいるのを好むわけも、同じ理由だ。


今まで色々理由を付けてきたが、
最終的にはこんなつまらない原因だったらしい。
だから今までの考えは全部、訂正する。

世の中、きれい事だけじゃない。
美しい志の裏にどんな感情が眠っているのか、本人すら知らない事がある。
俺には、「自分は寛容だ」と思いこんで無意識のうちに隠していた『怒り』が、
自分に強い夢を持たせた張本人だった。

でも、だからこそ俺は、頑張ってるヤツが本当に好きだ。
そいつらを応援したいと、心から思える。
それも、上記の「感情」から起こる一つの「結果」だ。

わずかな迷いが、やっと消えた。
理性だけで考えられる事に制限があるということも知って、一つ賢くなった。
人間には、どうしようもない『感情』があるのだ。
それを今、少しだけ真に理解できた気がする。

そしてついでに、「自分の好き嫌い」や「本気で生きられる理由」が「たった一文の文章」で
「ほとんど全て表される」という恐ろしいほどの単純さに閉口したりもするのだが。
でも、人間ってこんなモンかな……。

■ 5月18日(金) 何のために今を頑張るのか ■

ジジイになってからでも、本気で生きられる理由を見つけたいと思ってる。
だから、頑張る理由が「金」じゃ駄目なんだ。

受験時代の時にも決めたが、自分は
「一人でも多く、他人の心に強さを刻む」
ことが、現段階での生きる目標だ。
この目標は死ぬまで終わらないし、真に価値ある人間として生きたいなら、いい目標だと思う。
むろん、年表には残らないだろう。
名前すら残らずに、死ぬかもしれない。

それは別に構わない。
名前を残すことが目標ではない、「心」を残すのが目標だ。

それがどうしたと、きっと人は言うだろう。
そんな事をして一体何になるのかと、問うだろう。

どんな事だって、「それがどうした」と俺は思う。
無償で人を助けた事で何かあるのか?
人に賞賛されて名が残って、それがどうした?
自分の名を後世の人々に覚えてもらって、それで何かあるのか?
新しい理論を発見して、どうなる?
科学が進歩して、宇宙の謎を解いた所で何が得するというのか?
自然環境を守って、どうなる?
人はいつか死ぬ。
環境を守ろうと守るまいと、必ず死ぬ。

死ねば、誰も同じだ。
後には何も、残らない。

だから俺の目標も、「それがどうした」でいい。
でも、「自分が大切だと思ってるもの」を伝えてから死にたい。

明日を恐れず、今日を精一杯に生きる事。
自由な心を持ち、つまらない心の鎖に繋がれないで生きる事。
まるでガキだと、今見て思う。
でも、人は行くところまで行くと最初に戻るというのは、よくある事だ。
『固定観念にとらわれない、探求心と好奇心の塊』
「進歩」するのに、これ以上の存在は無いと思う。

そんな人達がもっと増えて欲しいと、そう思う。
だから俺は、人にそんな「心」を伝えたい。
後世の人達が、よりよい世界を作ってくれるように。

それが、自分のやりたい事をやってる内に後からついてきた「目標」だ。
無理矢理絞り出したとも、言うかもしれない。
あくまで建前でしかないが、俺にとっては「その気にさせてくれる、もの凄い原動力」だ。

人の心がどんなものか、少しは知ってる。
口で言うだけじゃ絶対にその気にさせられない事も、知ってる。
心の底から、人の心に影響を与えられる「何か」を知りたい。
それが今、自分の追い求めるもの。
自分は諦めない。
求めるものが、必ずどこかにあるハズだから。

■ 5月18日(金) わはは ■

今受験していた時代の日記読んでるとまるでバカな気がします。
アレで自己マインドコントロールしてたんだからよっぽど精神防御力が落ちてたんだな、俺……。

でも別の意味で言えば、自分の主張がどんなものなのかを自分で知った時期でもあるわけで、
あの頃は自分を発見していた全盛期だったんだろうなあと思う今日この頃。

終わってみれば、自分の中に『自分』っていうものがどんなものか、っていう「常識」ができあがっちゃって、
もう一度自分を見つめ直すと、自分という存在についてすでに「当たり前」の部分が多すぎてほとんど何も発見できない。
まあ、それにも慣れちまったけどな……。
だがそれに慣れすぎると、その時点の「当たり前」がそのままキープされて、
自分が変わった時に気づけなくなる可能性がある。
常に自分がどう考えてどう動いているのか、意識せねばならない。

ま、そこまで余裕持って生活できる人なんて居ない、かな……。
俺には、皆が全然余裕の無い心を持ってるように見えるがね。
「ボーっとできない」ヤツは、全員それに該当すると思う。

「何もしない」事ができないヤツは、意外と多いモンだ。
それができないと、自身の体調や心理の変化、つまり自分の「中身」に敏感になれない。
常に「何かをやってる」から、「自分に目を向ける暇」ができないのだ。
そのうち、自身の身を滅ぼしていることも気づかずに死んでいく。

……もしかしたら、自分が一人でいる事を好むのは、「余裕を持ちたいから」かもしれない。
他人と一緒にいるときに「自分に目を向けられる」事ってのは、よっぽどじゃないと無理だと思う。

逆に言うと、
一人が淋しいと思い、他人とつながる事(今は携帯もネットもあるし)で満足しようとする人間は、
「自分を見つめたくない」と、思ってるのかもしれない。
自分の中の「汚さ」を認める事が、「怖い」のかもしれない。
「心の汚さ」を認める勇気が、ない。


さらに別の見方をしてみる。
自分を認められるのは「もともと『心の汚さ』が少ない人間だけ」だ。
という可能性も、ある。
本当は皆、自分の中の『心の汚さ』を認められる量ってのは決まっていて、
それが一定量を超えると、
「自分の心が汚さすぎて認めるのが怖い=自分を認める事ができなくなる」
ようになってしまう、っていう考えだ。
だから自分が見えないように、わざと忙しくする。


まあどれも冗談半分の考察だけどな。もちろんこの二つだけじゃねえ。
ちなみに、第三のパターンとして
「自分の能力が足りないと思うから誰かと一緒にいる」
ってのもあるし。
小さい子供なんてその典型じゃねーか。
石器時代で「たった一人で行動する」遺伝子は淘汰されたハズだろうし。
集団を離れるようなヤツは死ぬしかないのだ、古代では。

ま、他にもまだまだ何通りもあるだろう。
何で忙しくしようとする、もしくは忙しくなるのか、その理由は色々とある。
他人の期待に添う為、自分の存在がイヤだから(これはさっきのと重なってるか?)、
与えられた仕事が多いから、生きる為に必死で働かないといけないから。
体の余裕は、心の余裕だ。
体が何もしなきゃ、心は色々と考える事ができる。
それでちったぁ賢くなると思うんだが。

ま、一人も悪くない。俺は大好きだぜ。
邪魔するヤツが誰もいないから、本気で好きな事に集中できるしな。
勉強もはかどる、理論思考ガチガチの頭にはこっちの方が快適だ。

■ 5月17日(木) カップラーメン ■

二ヶ月ぶりくらいにカップラーメン買って食いました、夜食に。
買ってきたのは行列のできる店のラーメンしょうゆです。
食ってる途中に箸で底に穴開けて凄い事になりましたが全然大丈夫ッス。

で、これがまたンマイ!
インスタントなのに生麺の様な歯ごたえ、さすがにやるなあ、日清。
何より作り方も変わってるしな。
粉で入れる部分がダシで、後からしょうゆ部分(液体スープ)を投入!
うーん、これはいい……最近のヤツは美味いねえ。
が、とりあえず三食御飯を欠かさず食ってる俺としてはたまにオヤツに食う程度だな。
それにしても技術進歩って凄いなあ、カップラーメン一つ見てもそう思うぜ。

■ 5月17日(木) ゲーム製作進行状況 ■

・とりあえずグラフィックの大半は完成。
 背景いくつか抜けてるけど連載なので抜けてても問題なし(おい)
 次回で補充できるしな。

・システムはほぼ完成、戦闘は今のところ無し。
 今作では、普通にツクールの機能でも作れるけどそれだと面倒な事、
 (例えばコマンド入力、上から二番目の「話す」コマンド選んで
  「話す相手」を選んで、などを何回も繰り返すとウザイ、とか)
 を半分省けるようにシステム構成。意外と無駄な努力。

・で、これが問題。実際のストーリー部分が全然できてません。
 ただでさえ顔グラフィックの貯蔵が少ないので、レジェレスの時みたいに
 通行人Aとか作ってられなくなったのも問題。ネタが制限されがち。
 ついでに顔グラフィックの表示まで自作(最初からついてるのに…アホ?)なので無駄な苦労が増える。

 でもたぶん、ツクール2000で作ったゲームには見えないハズだ!(文字表示部分以外)
 っていうのが強みかな……ハハ……。
 とりあえず視覚的要素にはこだわった!つもり。
 完成したら是非その部分を見てやって下さい……いつ完成するかわからんけど。

■ 5月16日(水) 生まれつきか、こりゃ? ■

自分の性格、
自分が満足するまで仕事が終わらない事、
わからない物が存在すると、自分の力量以上が要求されそうと思いがちでビビりやすい事。

小学生、幼稚園の時からずっとそうだった。
あと他人を見れないってのもあったな。
確か中学生が終わるまで他人見て喋った事がないハズだ。
まあ多少は治ったんでこれはいいんだが、
小学生の工作とか何故か必ず自分一人最後まで残ってたし、
やった事のない仕事とか出ると絶対に何もできないと思ったし。

っつー事はこの性格は小学生一年の時から何ら変わってないと。
性格が変わったと思ったのは、性格の弱い部分が無くなっただけだったのかもな……。
だが一体どの辺でこの性格が形成されたのか、生まれつきか、それともまだ見つかってない法則が作用してるとか。
うーむ、遺伝子はこれからどうにでもなるが、教育と「何か」は発見しない限りどうにもならんよなあ。

■ 5月15日(火) うおーりゃー ■

ギャグは自分でも笑えるギャグじゃないと使わない!
もしくはギャグとして使わない!!
ってのが信念だったのに最近は耐性がついてしまったのか全然思いつかないのである。
あー、高校生時代の発想力をもう一度……っていうか受験でだいぶ落ちたな、こりゃ。
芸術関係も、受験終わった後の美大学生は「創作」する事を忘れてしまっていると、
大学の先生が言っておられましたし。
ただひたすら描きまくってその問いに応じた「パターン」を作り出しておくのが受験勉強なんだとさ。
だからテーマを出されないと描けないというクセがついてしまうのかもしれない。
何でもいいから描きなさい、が一番いいと思うのに……。
とは言っても、やっぱ同じ絵ばっかり練習して思いっきり凄く描けるように特訓しちゃうから一緒か。
純粋に功績だけで見るか?それだとチャンスのない人が可哀相だよなあ。
うーむ……こんなモン、試験なんざ作れねえだろ……。

どうしても自分の感情を表現しにくいテーマだってあるだろう。
海の絵ばっかり描いてるヤツもいるくらいだしな。
色々と、難しいもんだ……。

ま、俺は俺。
「発想力」は「感動の元」だ、今からガンガン伸ばしてやる。
頑張らないとな。

■ 5月14日(月) 心をこめて、か… ■

文章を書くときは、一文字一文字丁寧に紡ぐ。
読み返してみて、テンポがおかしくないか確かめる。
自分で口に出して、すらすら言えるか確かめる。

そして、リズムが合っているかどうか、確かめる。
引っかかると思う所があったら、修正する。
読みやすいようにセリフを書くのは、意外と大変な仕事だ。

不自然な所が全然ない、という結果を求めて、頑張ってる。
アクセントとしての不自然さは、もちろん不自然さとして残す。

やっぱり、慣れなのかな、こういう仕事は……。
結構神経使うぜ……。

■ 5月13日(日) 自己意識 ■

『自分は特定の誰かと一緒にいるときが一番完全な状態である』
と思える時が、誰かを欲している状態、つまり淋しいと思う事じゃないかと、ふと思った。
不安になったときは、心の一部分が抜け落ちたと思えばいい。

だから常に『自分は自分単体で完全な状態である』と思ってる人間は、
本心から、淋しいと思うことが無い。
つまり、他人を欲しないから、コミュニケーションを取ろうとしない。
「話したいけど話せない恥ずかしがりや」という種類もあるが、
これは「最初から話す必要も無いと思っている」という種類だ。

完全に打算(未来への投資)と義務だけの付き合いってのも、何か変な感じだ。
だが一応、味方は作っておかねばならない。
「俺」の情報を、必要な時に証言してもらうためにも。

「同志」と思う人間には、まだ会ったことがない。
自分の目標に対してどこまでも真っ直ぐで、そしてぶっ飛んだヤツ。
己が人と付き合う、もう一つの理由。
いつか、出会えるだろうか……。

その気になりゃ、一人でも案外色々とやってのけられるものだ。
「できる」と思えば。
そうすることで、『勇気』が沸く。
『勇気』は可能性を無限大に引き上げる。
その瞬間は自分には不可能な事ですら、「できる」ようにさせてしまうから。

人は集まる。
「仲間」を、「自分の心の隙間を埋める者」を求めて。
俺は、面白いヤツと出会いたい。
俺の心の隙間は「我が同志と言えるような人がいない」と思ってること。
ただ、それだけ。
だから俺は、たくさんの人の中にいるときも、いつも孤独だった。
でもその環境が、「自分に自信を付けさせた」のも違いない事だろう。
もはや、文句は付けない。
その環境が、今の自分を形作った一部なのだから。

■ 5月13日(日) 長いな… ■

最初に「ゲームを作る」という事に触れた時から、すでに6年が経った。
夢を見つけたのは、異様なほど早かったのかもしれない。

特に誰にも公言する訳でも無く、誰にも教えて貰うこともなく、
ただひたすら、自分の腕だけを信じてやって、成長してきた。

システムを構築して、自分で次の日もう一度見ると、何がなんだかわからない量になっていたのに気づいた。
初めてみたら卒倒しそうな量だと、俺は思った。あくまで俺の基準だが。
5年前にDante98Uやってた頃から見れば、システム構築力は成長した。
それ以外の技能も、色々と。

若くして6年前を懐かしむのも、何か変な話だが、
70歳の老人になったら、こう言ってみたい。
「自分は50年以上も前から『絶対に笑って死ねる人生を送ってやる』と決めている」と。

先を見据えていれば、今日を強く生きられる。

っつーわけで、
今日は一日中ゲーム作っておりました。
脳味噌がオーバーヒートしそうなくらい頑張ってます。
システム部分が恐ろしい事になってます。もう3日経ったら忘れて直せないくらい。
来週くらいに完成したらいいんだけど……宿題も面倒なんだよなぁ。

■ 5月12日(土) はあっ! ■

503iとか言う機種がバグってる事で有名になってるそうですが、
妹に言われるまで知りませんでした。っつーかテレビなんてだいぶ前から見てないような気が。
で、パスワードなんだっけと思っていじっててある事が判明、
なんか4月頃、最初にテキトーにパス入れてしまったのが受理されてたらしく
今更になってパスワードがわからない状態に陥るハメに。
しかもドコモショップがドコモとか言ってる割にどこもナーイ。
チッ、まあiアプリなんざ一切使ってねえからな。関係無い。
だいたい一ヶ月100円とか言って金を取る態度が気に喰わぬ!!
100円とタダの違いは大きいんだよ!
まだ今月だってパケット料金と通話料金含めても183円しか使ってなくて無料通話がまだ217円も残ってます。
他人と無駄にコミュニケーション取ろうとしない人間は楽ねえ……。
俺のコミュニケーションは月400円分で十分、か。

そういや、ネットが遅い遅いと喚いていた今日この頃ですが、
ADSLが開通したらそっちに変わるようです。
非常にラッキーな感じ。騒音も慣れれば無音な感じだし、ええトコじゃのう……。

あー、そうそう、ついでに一言。
携帯電話に電話がかかってくる2秒くらい前に
スピーカーが「ヴッヴヴッ!!」と鳴りますが、
これってどーいう現象なんでしょう?電波受けるとスピーカー鳴るの?
トラックが通った時もたまに「ヴッ」となる気がしますし。
って事は相当電波飛びまくってんなあ……携帯電話恐るべし。
普通に電話してたら電波人間になっちまいそうな勢いだ、こりゃ。
ギャグじゃなくってマジな話で、だぞ。

■ 5月11日(金) まあねえ…… ■

心からつき合える友人は、まだ数人しか居ない。
こいつとは気が合うと思ったヤツは、まだ大学では見つけていない。
他人と喋りたいけど喋らない、という事も無い。
あまり喋りたくないのが本音だったりする。

うわべだけの付き合いってのも、疲れるな……。
一緒に長くいたい、とか思うような友人は、まだいない。
他人を好きにならない性格、か。
元々、実質的な感情が希薄だからな……。
他人を安心させた方が得策だと思って笑う事はあっても、本音から笑った事はほとんどない。

自分と似た人、なかなかいないモンだ。
積極的にそいつの事が知りたい、って思った事がまだないんだよなぁ……。
うーむ、どうすりゃ人付き合いが苦にならねえんだろ。

■ 5月11日(金) もし ■

もし光速で太陽の様な巨大な惑星が地球に向かって突っ込んできたら、
人間はそれを知る事なく消えていくだろう。

光速で近づいてくる物体は、見えない。
音速で近づいてくる戦闘機の音が聞こえないのと、同じように。

人間の知覚できるモンなんて、所詮は大した事が無い。
ま、アインシュタインも言ってたらしいしな、
「常識は人間が地球上で生き抜くためだけに与えられた存在だ」
って。
見えないモンを信じるのも、悪くないんじゃないか?
アインシュタインは行ったこともない宇宙の法則を見出した。
絶対に全部ニュートン力学で説明できる、と思っていたこの世界をうち破ったすげえヤツだ。
絶対に存在しないように思われるものを信じて、それを形にしようと思った結果がコレだ。

見えない物に気づいた連中が、今で言われる『宗教』と呼ばれる物を作り上げた。
見えない物を信じる連中……もっとも、その大半は本当に趣旨を理解してるわけじゃない。

でも、俺はそういう物の存在に「気づいて」から、強くなる事が何たるかを理解した。
見える物しか信じないヤツはいつまで経っても、殻をうち破る事はできない。
ただの「常識人」で終わる。

いつも世界を変えてきたのは、常識かどうかを問題にせず、ただ真実のみを見つめてきた者たち。
見えない物を信じることが「難度の高い事」、というのなら、世界を変えられる人間が少ないのもうなずける。
多くの人間は、そこまで到達できないらしい。
もしくは、遺伝子に組み込まれてて最初からどうしようもない事なのか、どっちかだ。

だが、
周りの目を気にしすぎて、「変える」力を抑えている人間も多く居る。
ならば周りの目を気にしないで生きられる人間が、世界を「変える」ヤツなのか?
それは通常の人間から比べれば、欠陥品以外の何者でもない。
でもそれがわかるのはいつも、大抵、その人が死んだ後か、死ぬ間際だ。

「自分は、自分が必ず満足できるように、生きてみせる。
 いつ死んでも、絶対に笑って死ねるように」

この信条は、正しいのか間違ってるのか、まだわからない。
でも、俺が死んでからなら、この思いでどんな生き方ができたのか、きっとわかる。
歴史にも残らないだろう。
でも、そんな事を気にしてやりたい事をやめるくらいなら、最初からやらない。

普通のままで終わりたくはない。
そう思うこと自体、異常なほど傲慢かもしれないが、だからこそ、努力したい。
たとえ、一般社会に認められない事であっても、だ。

■ 5月10日(木) うむ ■

別に書くことが無いわけじゃないんですが、
家に居る時間全部ゲーム作ってると日記なんか書いてる余裕ないわけで。
まあそれで製作はだいぶ進んだのですが、システムの構築の仕方がまるで
Windowsの様な感覚なのでどこで引っかかるか、もーかなりギリギリな予感。
調子良ければ来週か来々週か来々々週くらいには完成しそうです。
音楽以外パーフェクト自作!!
気合い入ってますぜー、へへへ……。

■ 5月9日(水) だるい… ■

だるい時は特にこれと言って何もせずダラダラしそうになるが、
「皆がダルくて何もやってない時に頑張らなきゃ、追い越せねえだろうが!!」
と言って、無理矢理気合い入れてくれる俺の心。
何でこんなアホな考え方ばっかり浮かぶのやら……。

やっぱこれも「心の鎖」なのかな。
『前進せねばならない』という精神。俺にとっての『強制』。
でもこれは俺を縛るモンじゃない、どっちかっつーと天からのびてる鎖だ。
いつでも手放す事はできる。
でも、手放した瞬間に自分は駄目になってしまうだろう。
ただぶら下がってるだけでもいいが、それじゃあいつまで経っても自分は伸びない。
だから苦しい思いをしてでも、自分から上らなきゃいけない、ってな。
誰も、下から押してはくれない。

やる気は、自分の中にしか存在しないから、
だからこそ、どんな時でもマジでやらないといけないんだ。
疲れた時は休めばいいが、
まだやれるなら、やれるトコまでやれ。
無理はしてはいけない、でも無茶はしろ。
それが「凡人」と「ぶっ飛んだヤツ」の違いになる。
たぶん、な。
俺も、なってないからまだわからん。
でもこれは、自分が生きる上での指針にする。
そしてそれを信じる。
それが自分を信じるって事だ。

精神的に支えられなきゃ生きていけない。
そんな人間には、ならない。

■ 5月9日(水) 今日の空は ■

今日の空は、いい感じに雲が浮いてて美しかった。
100点付けたいくらい。
自分が好きなのは空の青と緑だなぁ、やっぱし。
人工物はどうして灰色メインなんだろう……。

広島来て電車乗ってると緑と青の遠い景色ばっかり。
大阪いた時の、辺り一面ビル、ってのは無い。
自然が美しいっていいねえ、うんうん。
ま、とりあえず今日も宿題頑張りますか。
大学の宿題ってどーしてこうも大変かねえ……。

■ 5月8日(火) イヤッホーイ! ■

今朝マンションの外にて繋がれていない犬発見。
目が合うとゆっくり近づいてきました。
あー、ええなあ、犬ぅ〜。
でもうちマンションだから飼えません。
俺のボディランゲージをたいがい理解していたようなので捨て犬、かな?
人なつっこそうな犬だったから、今頃誰かに飼われてるかもな……。

あと、近くのでっかいスーパーで流れていた音楽が「ヨーデル食べ放題」だと判明しました。
フーランクフールトがたーべほーだーい、たーべほーだいヨロレイヒー。
です。
こんなんスーパーで流す音楽ちゃうんや……ホントはギャグの歌なんだよ〜。
まあ別にいいんだけどさあ。

そうそう、あと今日はUNIXの講義を受けました。
初心者にはパーミッションの設定とかバリ大変そうです。
こっちはホームページやってっからそれなりにわかるんだけどな。
アレ、ユーザー単位でパーミッションの設定とかやってるので、
これでようやく他人に見られないファイルを作れるようになりました。
ついでにMS-DOSも、コマンド操作はUNIXとほとんど一緒だという事に気づく。
わかれば簡単だねえ、UNIXも。
でもWindowsとかでやるトコまでやりまくってやっと「あーなるほど」って言えるレベルかも。
なかなか難しいのねえ……気合いで勉強しないといかんなあ。
だがこれやってても「普通にパソコン使いたい」っていう人はちょっと可哀相だな……。

■ 5月7日(月) むー ■

美術の授業は意味がわかりません。
どうしよう。俺が馬鹿なのか。
何をどう理解すればいいのかを提示されないのが非常に残念な気分。
ただ単に技術説明してくれた方がよっぽど役に立つんだけどなあ……。
プレゼンテーション技法解説って言ってドイツの建築見せられたってどーしよーもねえじゃんよ!!
これは苦しいぜ……。

■ 5月6日(日) いかんな…… ■

昔より、自分が何を考えているのかがよくわからなくなっている。
というより、今理解している自分に物足りなくなっているだけかもしれない。
本当にそう思っているのかと突然疑心暗鬼に陥るが、
やっぱり自分は、自分から見てそれなりにわかっている。
自分の感情の中に無理矢理押し込めている何かも、今はあまり無いとは思う。
可能性はいくつか思いつくが、いつも押し込めてる感情は「可能性」としてすらも出てこないものだ。
それは常に無意識の感情となって、心にしこりを残したり、自由を奪ったりする。
これが本当に正しいのかと、迷わせる。

あまりにも簡単に自分の事がわかってしまう事に、不安を感じているのかもしれない。
今までは、もっと苦労して、何とか気づけた自分なのに、
いつの間にか、「すぐ気づける自分」になってしまって、
結果を安直に決めていいのかと疑問を抱いているのかもしれない。

自分を御しきれない訳でも無いし、
やることが無いという訳でも無い、
一体何がおかしいのやら。

所詮、自分はただの人間だ。
「迷わない」などという事は決して無い。
何も迷うなと言って突っ走れば、何かに転ぶ事もある。

……自信がありすぎるのは、慢心の始まりだ。
誰だって、同じような過ちを繰り返して、大人になってく。

よく考えてみりゃ、自分はまだ未成年だ。
「弱い」事は何ら不思議では無いが、
俺は強くなりたい。

何を持って強きと為すか。
「何者も恐れず、迷わず、自分を信じて、孤独を恐れず、
 それでいて慢心せず、いつも自分の心に正確な判断を下し、
 前に進むことを恐れぬ、勇気ある心」
恐れるものはほとんどない、孤独も同じ。
慢心は、時々する。だから正確な判断を下せない時もある。
前に進むのはもう、怖くない。
たった一人でも、頑張れる。
それが生まれつきか、環境によって形成された性格かは知らないけれど。

『抑制・調節』が、これからの俺のテーマ、か。
もっとも、これを覚えた後にもまだ別のテーマが出てくるんだろうけどな。
半年前は、「ただひたすら前に進める」ようになる事がテーマだったような気が。
一応、これでもゆっくりと成長してんのかな……。

■ 5月6日(日) いいね ■

今日は洗濯して、家から届いた荷物を開けて整理して後は自由行動!
勉強するか遊ぶかしかできない環境下で遊べる事が一つもねえ!!
というわけで製作活動。
やっぱこれに尽きる。ってーかゲーム機の類を一切持ってきてないのも良い。
何てったってテレビも見ないしな。
だから夢に向かって頑張るぜー!!

ってわけで、やっとアドベンチャーゲームのグラフィック部分は一通り完了!
背景にクソほど時間かかるのが難点だが描くのが面白くないわけじゃないのでOK!
って、あ、背景一枚足りないや。ぐっはあ!
本職のアドベンチャーゲームの制作者らは大変なんだろうなあ……まあ俺が全部担当すりゃ手抜きする部分は全部手抜きできるし。
誰も文句言わない製作環境、良いわねえ。
多人数でそこまでの環境なら最高なんだが……まあそんな事できるヤツァ、いないな。
多人数で不満がなくて意欲が満タン、って状態をキープできる天才さん、どっかいないかね……。
そんなヤツなら是非ともついていきたいモンなんだけど。

■ 5月5日(土) 古きは良き仲、今も良き仲 ■

今日、友人らと会った。
みんなで遊んで、騒いで、語った。
皆、誰一人としてほとんど変わっていなかった。
そりゃあ、一年経っても一見全然変わってないような連中だ、一ヶ月やそこらでは変わらないだろう。
……変わったのは、俺なのかな。
ふと、そんな事を考える。
昔よりよく喋るようになってたし、自分の言いたい事を言えるようになった。
図々しくなったとも言うのだが、昔と比べれば消極的なのが治ったと言っても、いいと思う。

最初、二十歳を超えたら、いつか一人暮らしくらい経験しなきゃいけないかなあと思っていたのに、
気が付けば、予定より二年も早く一人で暮らしている。
いざ一人で生活してみても、色々失敗したりもするけど、皆で生活していた時よりもずっと楽で、充実していた。
たった一人の方が、強く生きられる。
変な人種もいるもんだと、心の中でひとりごちる。

そうして一月経って家に帰ってみれば、何もかも変わっていなかった。
周りの風景も、家の中も、置いてあったものさえ、家を出てきた時のまま変わっていなかったりするものもあって、
ここで生活していたときは、そんなモンだったんだなと思い返す。

家族も、もちろん変わっていなかった。
母も、妹も、祖父祖母や叔母やまだ小さな子供達も。
ただ妹は、前よりちょっと強くなったように見えた。
俺のいなくなった分を埋め合わせするために、か。
無くなった部分を補充するように、今まで無かった部分が少し出てきたようにも見えた。
一生の内で、たぶん一番近くに、一番長く居た兄妹だ。
お互い、劇的な変化があったのかも、な。

色々と懐かしかったけど、かつての自分の居場所はまさに昨日無くなった。
俺の今の本当の居場所はやっぱり、広島だ。
夕方遅くに着いて、スーパーに晩飯買いに行くために自転車に乗ると、
そっちの方が、家の自転車よりしっくり来た。

また、いつも通りの生活が始まる。
学友は、みんな元気だった。
大学に受かったのも受からなかったのも皆。
結局はどちらも勉強して、頑張ってる。
浪人も、現役生も、何も変わらない、些細な違いだ。

俺は、『頑張れる』という事が、一生においてとても大切な事だと考える。
真に自分の出来る限りの努力をしているなら、全員褒め称えてやりたい。
そして、俺も頑張りたい。
だからまた明日から、一生懸命生きる。
あさっての自分が、明日の自分より強くなれるように。

■ 5月4日(金) 帰省中 ■

家に帰ると家族が色々サービスしてくれて怖い気分。
俺はそっけないのがいいんだー!!とは言いつつも、どーもねえ。
こういうのがあるから他人(客)に思われる……って人は言うんでしょうか。
でも、向こうもなかなか意識してやっとる事じゃなさげだし。
ついついやっちまう、のかな。
自分が「家での日々の生活を続けに来た」って感じで帰ってくるから変なのかもしれん。
俺にとってはいつもの事でも、向こうにとっては特別、か……。

それにしても、家に居ると宿題とか製作能率がかなり落ちる事が判明。
こんな環境で勉強していた俺が凄いなどとアホな事を思う自分。
だが強烈に静かなので、広島の家よりは気分がいいな。
あっちはもう夜中まで車の音が……まあ慣れたら問題無しなんだけど。
何事も、辛いのは最初だけなんだよなあ。
どんなにクソみたいな道具でも、気が付けば使いこなしてるし。
人間って便利なモンだ。

それはそうとパソコンの修復頼まれたのはいいんですが
ネットワークカードのドライバが見つからなくって断念。
親父!これ見てたらREX-R280のドライバのディスクがどこにあるか教えてくれー!!
ネットからダウンロードしたヤツでは何故かバグって使い物になりませんのよ。

■ 5月1日(火) 目玉焼きが上手く作れるようになりました ■

ベーコンを焼いて油を出したら、
ベーコン引き上げて皿に乗せ、しばらく待ってフライパンを冷やし
(それでも卵乗せるとジューっていう程度に)、
そこに卵乗せて、卵の縁のフライパン側に少しずつ水をまぶし、蓋をして弱火で熱する。
すると、上もいい感じに下がお焦げの味がしない程度のちょうどいい焦げ目が付いた目玉焼きの完成!!
うおおおお!!これで毎日爽やかモーニングだぜーー!
もう焦げた目玉焼きなんて食わなくていいんだー!!バンザーイ!!

■ 5月1日(火) 意味 ■

5月に、なった。
記録に残っている日記は、全部で一年とその三分の一。
残っていないのも含めれば、たぶん二年以上になるだろう。

ところで、
誰に言われるでもなく、成り行きでやらされているわけでもなく、
本当に自分がやりたいと思って自分からやる事に意味があり、
そしてそれが『真に好きな事なのだ』と、俺はそう思う。
今、夢などという明確な目標を立てずとも「今はただ自分の本当に好きな事をやっていきたい」と言う気持ちがある。

成り行きで、その道を選ばなければいけなくなって、
本当にそれが正しい道なのかどうかわからなくなったなら、
もう一度、自分の一番好きな事を見つめてみるといい。
似たような道でも、一番好きな事は微妙に違うかもしれない。
そして、実は社会的に認められないかもしれない方の道が本当に好きだと気づいたら、そっちを極めろ。
本当に好きな事にしか、人間は成功できないのだから。

俺は、あまり社会的には好かれない道を選ぶ。
だが迷わない。
どうせ社会的に認められるような仕事は、面白くない事ばっかりなのだから。


長い間日記を書き続けてきて、導いた答えがそれだ。
非常に単純で、まるでバカのように開き直って、ただその道を歩むだけ。
でも、一日一日に大きな意味を持っている。


「一生懸命努力しているのなら、自分の自由にやっても、それは必ず人のためになる」

俺はそう信じている。
だから俺は、何も恐れずに頑張れる。「これで正しい」と思っているから。
「このままでいいのかわからない」という迷う心は、夢を潰す。