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■■3月17日(月)■■ |
ゲーム製作してると、思う。
考えて考えて、作っても作っても全然進行してる気にならない。
疲れるまで集中して、はぁ疲れた、と思う時まで作っても、
時間は恐ろしいほど経過しているが、プレイ時間はちっとも延びてない。
最近はもっぱらネタ考案の為に時間費やして来たが、
それらを「上手く情報伝達できる」形にするのにも、異様な時間がかかる。
リズムや、プレイヤーの情報認識タイミングを考慮しなければ、どんな面白いセリフも活かせない。
廃品集めて、チューニングして機械として作るようなモンだ。
「ネタ」はすなわち「廃品」で、そのままじゃ効果が薄い。
作るときは、「作る」行為そのものより、「考える事」が行程の95%以上を占めているが、
考える為のスタミナがすぐ切れる、または「考える力」を効率良く運用できない、
その両方が、進まない原因である気がする。
現状では、一度に3〜4時間以上、時間を忘れて集中できるほどの持続力も無ければ、
短時間で満足のいく質に出来るほどの能力も、とてもじゃないが持っているとは言えない。
いくら面白い事を思いついても、運用するとなると話が別だ。
何回もテストプレイして、会話のタイミングがおかしいと思ったらチューニングして、何度も書き換える。
一発でそのまま「使える!」と思えるように作れるような構成力がない、
短時間で、小ネタを素早く実用化、展開、構成する力もない。
明らかに、能力不足は否めない。
唯一残る長所は、自分が満足できる「目標とする質のレベル」が、それなりに高い事だけだ。
これは、元々目が肥えてるのも、あるのかもしれない。
だが半年溜めたネタすら、すぐ使い果たす。
自分の能力に、自信が持てなくなるひとときだ。
仕方ない、面白い所は分散させて使おうか、いや、でも内容が薄くなるし、
と思い、また長々と考えて思いついたネタと同じクラスのネタを必死こいて考える。
せめて自分が満足できるレベルまでは、何としてでも頑張りたいと思う。
不満なままで終わらせたくはない。
でも、名案が思いつかない。そしてまた考える。
作るのにもだいぶ慣れたのか、焦ったり追い込まれたりする気はしていないが、
自分の力が足りない、もっと欲しいという欲求には駆られる。
ゲームを作っている時は、
粘土の壁にタックルして、トンネルブチ開けようとしているような感覚だ。
「根気」も「考える力」も、だいぶ足りないと感じる。
前よりは遙かに保つし、遙かに色々思いつくのは分かっているが、もっと欲しい。
「自分の力不足」を「真っ向から見据えられる」のは、この趣味だけだ。
もっと成長したい、強くなりたい。
自分の趣味に時間を費やしている時は、いつもそう思わせる。
学校でやらされてる事も、難易度が桁違いに易しいという意味で、小さく見える。
学校での目標は、一期につき、学んだ事を一週間本気で勉強するだけで達成されるかもしれないが、
自分の趣味の目標には、二年経ってもまだ遠く見える。
自分はまだ、自分の能力に満足してない。
虚勢を張る為の力でもなく、誰かを打ち負かしてやりたいとも、思わない、
ただ純粋に、もっと力を付けたい。
もっとより良く、自分の好きな事ができるように。
未来の話だが、
能力にも満足するようになったら、自分は今度はどうするんだろう。
また目標が無いとか、言い出すのだろうか。
そういう時は、「何かを創りたいと思わせる」ような物でも、探すべきか。
なにかに喚起されるのは、いい刺激だ。
「感動」は人に「その感動を与えた世界」への好奇心を持たせる為の、引き金になる。
知識も増え、視野が広くなる。世界にはこういう興味深い物もあるのだと知らせてくれる。
子供の間は、探しに行かずとも、周りには感動だらけだ。
大人になってから感動するなら、自分から探しに行かないといけない。探すのは、本でも映画でも何でもいい。
そうする事で、良い意味での「子供らしさ」を保てると、自分は思う。
ボーっとしてても、面白い事に出会える機会など、少ない。
探せば、面白い物は割と見つかるものだ。
常にそれを忘れるな、自分。
■■3月14日(金)■■ |
愛せぬモノを「育てよう」とは、思えない。
だが入れ込みすぎると周りが見えなくなり、独りよがりになる。
「作品」は、作者にとっても「魅力ある作品」じゃなきゃ、やる気が出ない。
自分はそう思う。
ここで言う「魅力」というのは、人それぞれだろう。
その作品によってもたらされる「金」だったり、「名誉」だったり、
そして、作品自体に込められた純粋な「面白さ」だったり。
久々に、自分でシル見をやってみると、作った本人が言うのも何だが、
思っていたより、面白い作品だと感じた。
「そうだな、今日はシル見の続きを作ろうか」と思ったのは、そんな些細な感情からだった。
そしてまた、自分で「続きが出て欲しい」と思わない限り、
それなりのやる気が出ないという事にも、気付いた。
今は、入れ込みすぎというほど、惚れてもいない。
この作品が好きだなぁ、というぐらいには、思っている。
1〜10の段階で言うなら、やる気ない時が0〜1で、今が3〜5辺りと言った所か。
製作するなら、これぐらいのやる気がちょうどいいのだが、
普段はマイナスになりすぎてて動かない事が多い。
無論、やる気がプラスになりすぎても、頭が堅くなりがちで焦ったりして、良くないのは分かってる。
ちょうどいい「やる気」を保持する方法は無いものか……と、何度も考えているが、答えは出ない。
……まあいいや、製作頑張ろう。
まだ頭が堅いまんまなんで、イマイチ発想力が弱い気もしないではないが、
まあ製作してる内に戻るだろう……。
「面白い」の一つの答えは分かってる。自分で見てニヤリと出来るかどうか、だ。
後はそれに当てはまるように色々組み替えて考えれば良い。
頭の堅い時にネタ考えるならこの方法だ。
柔らかい時なら、先にパッとネタから出てくるから、楽なんだけど……。
「天才」ってのはたぶん、「頭を腐らせない程度」に常に色々発想している人の事を言うんだろうなぁ。
訓練を怠る者は、脳がどんどん腐ってくだけだ。常に、頭は使うようにしないと。
短期の気のゆるみが一生の失敗になるかもしれない、気を付けないとな。
■■3月7日(金)■もう一度■■ |
世の中には、自分など及びも付かないほどの人間が、たくさんいる。
今一度、痛感した。
何度も何度も、自分が狭い世界しか見ていなかった事に気付かされる。
一流の物書きには手も届かないほど遠く、
一流の絵描きにも手も届かないほど遠く、
その発想する力も、一流の人を見れば、手も届かないどころか、
理解の範疇を超えてしまうほどに感じる。
そう、「手が届かない」どころか、「見えない」レベルの物に感じる。
「素晴らしい作品を作り出す人」というものが、自分の立っている場所から見ると、恐ろしく遠い。
自分が見た、とあるその作品は、世に出て大きく評価された物ではない。
それでも、自分の技術からはかけ離れた、素晴らしい出来だと思える。
とても敵わない。
敵は大きく、だが、その組の中では、まだ下っ端な相手なのかもしれない。
「だが自分はその下っ端以下なのだ」と、「実力で」感じさせられた。
無論、「他人の評価の良し悪し」だけで、作品の価値を簡単に決めたりはしない。
自分で見て、評価して、そう感じたのだ。「凄い」と。
しかも一般ではそんなに評価されていない。
「現状の自分では、絶対にこんな世界じゃ生きていけないな」と、
本気でそう思った。
自分に、力が無いワケではない、とは、思う。
だが、その力は「有った」としても、とても小さい物だ。
無力とは思っていないが、ちっぽけだとは感じる。
だが、行き先が見えない、などと言っていた自分の目は、覚めた。
己はこんな所にとどまっていてはいけない、と、感じた。
自分が新たに垣間見た世界は、とても辛く、今は手に負えないほどの場所だ。
才のある人間しか、踏み入れる事すら出来ない領域かもしれない。
そして、自分にはそういう才は無いかもしれない。
だが、いつかそういう所まで辿り着いてみたい。
違う世界には、「生の目」で立ち向かわねば、その身に、直に感じる事はできない。
頭ではそういう世界があると知っていても、実際に見て、触れてみなければ何も分からない。
それを今日、思い出した。
そしてまた、
新たに知った、とんでもない技術と才がぶつかり合う場所へと
足を踏み入れられるほどの力を、身につけたい。
そう、心の底から感じた。
そして最後に、
自分の専門分野ばかり見ていて、視野が狭くなってはいけない。
それを、心に刻め。
「何か一つ」しか見ていない状態は、成長を妨げる。
真に成功した人間は、本能的に、自分の専門外とも思えるような様々な分野の話を見聞きし、
それを自分の分野に応用する事で上手く行く、という事が、多かった。
幅広い好奇心は、役に立つだろう。
そしてまた、「ゲームを作る」事ほどに、様々な能力や知識が応用できる事も少ない。
地理学、環境学、時事、生物、化学、科学、芸術、音楽、物語、計算力、
理論的思考、心理学、文章力、雑学、最新技術、プログラム、人工知能。
その気になれば、ありとあらゆる知識と技術、そして発想を活かす事ができる。
「新たな『世界』を、目で見、感じられるように『再現』する」のだ。
そこではどんな情報も、役に立つ。
何となく趣味でやっている事だが、
自分の知識の拡張には、いいと思っている。
自分の目の前の何もかも、全てが「必要な知識」だし、
また、学校などで与えられる知識も、全てが「必要な知識」だ。
もちろん、知識の食わず嫌いも多いが、
それでも「何かを知らずにいる」意味は、無い。
だから、普通の人間の何倍も、たくさん経験と知識を積んで生きていたい。
才能はあるかもしれない、無いかもしれない。どっちでもいい。
だが出来る限り、前に進みたい。
「変えられない物」をどうこうしようとは思わない。
「変えられる物」を、より良くしていく。
ただ、それだけだ。
頑張ろう、好きな事の為に。